人であり人間であれば誰もが体と心を持っています。
人間は死ぬと体もなくなり、心も消えて、認識もできなければ表現もできません。
心が消えると意識と無意識も消えます。
結局、私達が現実に存在しているということは、
生きているということであり、生存しているという意味です。
皆さんは生きているがゆえにこの文を読むことができ、
食事をして、寝て、勉強して、仕事をしながら活動することができるのです。
生れたばかりの赤ちゃんから死を迎えている人までみんな生存しています。
生存しているのであれば体と心を持っています。
生存している心は意識と無意識で構成されており、認識、表現、記憶をします。
これが人でありながら人間であるということです。
思考をしない人はいません。
この思考がまさに心です。
心は意識と無意識で構成されていますが、
自分が思考して感じるものが自分の心です。
したがって自分の思考は自分のみ自覚できます。
つまり自分は相手の思考を感じ取ることはできません。
相手の言葉、行動、表情の表現を認識して自分の思考を基準に推測しているだけです。
したがって自分が感じるものや思考は唯一自分のみ知ることができ、自分以外の人は知ることができません。
自分は自分の記憶をベースに思考して感じる存在なのです。他人とは関係がありません。
「人」とは、他人とは関係なく自分一人が存在することを指します。
「人間」とは、人と人が共に存在しながら互いに関係を結ぶことを指します。
人と人が相互関係を結ぶと、それぞれの人を人間と呼びます。
それで人間を社会的動物と表現するのです。
人の場合は社会的である理由がありません。
家で一人で暮すか、島で一人で暮すか、山の中で一人で暮すかなど、
そこに社会が存在する必要はないのです。
一人の人として存在する時は自由に存在する権利があり、
他の人も一人一人が自由であることはみんな平等です。
自分の思う通りに望む通りに何でもできる権利を持っているのが人です。
ところが人と人が互いに相互関係を結ぶ人間として生きるようになると、
自分だけが存在するのではなく相手も一緒に存在しながら社会を作ります。
このように人と人が関係を結んで生きていく時は秩序と調和を保つ必要があります。
調和と秩序は社会的慣習、道徳、倫理、法律などによって形成されます。
これは人は一人一人が自由と平等の権利を持っていますが、
人と人が共存する人間として生きていくためには調和と秩序が必要だからです。
人間として生きながら各自が自分の自由と平等の権利だけを追求すると、
秩序がなくなり、調和を成すことはできなくなり、社会は混乱して人間として生きていくことはできなくなります。
人間として幸福に生きていくためには調和と秩序が必要ですが、
これは人間が存在する意味と価値によって自己実現の幸福を追求するためです。
人としては自分一人だけの幸福を追求すれば良いのですが、
人間としては人と人とが関係を結んで共に幸福を追求することになります。
したがって私達は人として存在すると同時に、
人間として存在の意味と価値を追求することになります。
これが人間の自己実現であります。
このように人間の自己実現のために家庭、社会、国家などが形成されているのです。
自己実現の追求には、人間として幸福に生きようとする目的があります。
自己実現は意味と価値を追求することですが、
意味とは幸福の感情であり、
価値とは未来において幸福になれるだろうという気分です。
それで人間は幸福の感情を感じる意味を追求したり、
未来において幸福なれるだろうという気分を感じる価値を追求しながら生きていきます。
意味は幸福の感情ですが、
価値は幸福になるだろうという気分であって、
価値には大きく経済的価値、関係的価値、社会的価値に分けられ、
この三つの価値の中で一つ以上を追求しながら生きていきます。
自己実現を追求するときは、人として持っている自由と平等の権利を一部譲歩しながら
共に幸福になるために、人間として互いの意味と価値を実現していくのです。