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思考基準と葛藤

作成者 青年アカデミー(ip:)

作成日 2023-03-06

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内容


私達は人生を生きていく中で、葛藤という言葉を頻繁に口にしながらも、


いざその言葉の意味を正確に知る人はいません。


葛藤とは、まず一人でいる時は発生しません。


必ず自分と相手が存在する時、自分とその相手が対立したり衝突する場合、私達は葛藤があると言います。


もちろん人それぞれ葛藤の内容や形態は異っていても、どうして互いが対立し衝突するのかを知る必要があります。

 



自分の思考(考え方)基準と異なるために葛藤が生じるのですが、


「異る」と「違う」の意味をまず知る必要があります。


「異る」というのは、自分の思考基準を相手に適用しないで、


相手の思考基準が自分とは異なると認識することです。


また、「違う」というのは、自分の思考基準を相手に適用した時に


相手の思考基準が自分の基準とは違うと認識することです。

 



人間関係において相手に関心を持つようになると、


自ずと自分の思考基準を相手に適用し始めるようになります。


相手の基準が重要なのではなく、


自分の基準をどのようにして相手に適用するかを考えるようになり、


自分の基準と合う、違うというふうに考えます。


私達は相手と自分は異なる存在であることは頭では分かっていても、


自分も知らないうちに「異なる」ではなく「違う」と考えるようになるのです。


このように自分の思考基準とは合わないと考えてしまうために葛藤が生じるようになります。

 



女性は相手と葛藤が生じると「相手は自分のことが好きではない」と考えます。


男性は相手と葛藤が生じると悪い気分であるストレスとして考えます。


この時、自分自身の内部で発生する気分や感情によって


自分の思考基準に合わないと判断して対立し不和が始まるのです。


これが葛藤の原因ですが、人々はこのことを認識できずにいます。


したがって愛する人、親密な人であればあるほど


葛藤の頻度も多くならざるを得ません。


関心がない人であれば対立して衝突する理由がないからです。


さんは誰と最も多くの葛藤を経験しているのかを考えてみてください。

 



 おそらく夫婦間の葛藤が一番多いのではないでしょうか。


 夫婦間の葛藤は性格不一致で発生すると言われていますが、


 性格不一致が互いに補完し合うと幸福ですが、


 対立すると葛藤が多くなります。

 



 では、性格不一致は良いものでしょうか、悪いものでしょうか。 


 性格不一致は人間が生きていく上で幸福を築いていくために必ず必要なものです。


 そのため葛藤は悪いものではありません。


 葛藤が生じた時、相手は自分のことが好きではないと考えるのではなく、


 逆に「自分と相手がお互いとても関心があるのだ。そもそもお互いの思考基準が異なるだけなのに、


 相手の基準は違うと考えていたんだ」と考えれば、葛藤はなくなります。




 また私達は子育てをしながら親として自分の思考基準を子供に強要することが多々あります。


 親が考える時は自分の基準が正しいと考え、それは子供の基準とは異なります。


 ところが親と子供が互いに相手の基準は違うと考え出すと葛藤が生じることになります。


 親は子供に関心があるために自分の思考基準を子供に強要します。


 現在発生している青少年の問題の大半は葛藤が原因です。


 愛する人間関係であるにも関わらず、葛藤の原因を正確に知らないがゆえに


 葛藤が解決できず、むしろ葛藤は深まる一方なのです。

 



葛藤している相手と激しい喧嘩が絶えないとすれば、


それは互いが激しく愛し合っている関係だからです。


人間関係において生じるストレスや傷は葛藤の引き金となりますが、


この葛藤が解決できなければ感情には毒となり、


葛藤が解決できれば感情には薬になります。


だから葛藤という毒を解決し、幸福という薬に転換しなければなりません。

 



葛藤がない場合は、二つの可能性があります。


一つ目は互いが無関心である場合、


二つ目は二人のうちの一人が表現をせずに抑圧している場合です。


葛藤のない人生が良い人生なのか、葛藤のある人生が良い人生なのか考えてみてください。


これは皆さん自身が判断する領域ではありますが、


無関心よりは関心を持って葛藤する方が良いのではないでしょうか。


ただ葛藤の原因が正確に分からないために女性は傷つき、男性はストレスを受けながら互いが苦しむことになります。

 



葛藤のない人間関係であるのなら、


これは互いに関心がないという意味です。


葛藤よりも悪いのが無関心です。


家族の無関心は青少年期の子供達が家出をする原因の一つでもあります。


親が忙し過ぎて叱る時間がないというのは、


それだけ親として子供に関心がないという意味です。


子供を叱らないというのは子供が良い子だからではなく、親として子供に関心がないからなのです。

 



一例を挙げてみましょう。


子供が十五歳で親が四十五歳だとすれば、


四十五年間生きてきた親の思考基準と


十五年間生きてきた子供の思考基準が同じであるわけがありません。


大きな差があります。


思考基準に明らかな差があるのに、


子供が自力でしっかりするだろうと考えるなら、これは間違った考え方です。


親は子供に関心を持って子供の思考基準が違うのではなく、異なることを認めなければなりません。

 



思考基準というのは、その人の記憶によって形成されるものです。


男性であれば男性として生きてきた中で形成された記憶と思考(考え方)


女性であれば女性として生きてきた中で形成された記憶と思考(考え方)があります。


ところが私達はそれぞれ異なる思考を持って、


自分の思考で相手の思考を推測することで問題が起き始めます。


自分がAと思ったのだから、相手もAと思うに違いないと推測するのです。


この時にこの考えが的中する確率はほぼありません。


自分の考えを相手に主張し出すと相手と対立し衝突して葛藤が生じ始まるのです。

 



 自分の思考基準というのは、全世界で唯一自分だけが持っているものですが、


 相手も自分と同じでなければならないと考えてしまうのです。


 夫婦間の葛藤をよく見ると、夫は男として自分の思考基準があり、妻は女として自分の思考基準があります。


 互いに譲れない理由は自分の基準だけが正しく、相手の基準は間違っていると考えるからです。

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