母親と娘の間で葛藤を経験することを母娘間の葛藤と言います。
母親は母親の自己実現のための思考基準があり、
娘は娘の自己実現のための思考基準があります。
この時に母親は自分の基準を娘に主張し、
娘は自分の基準を母親に主張することで母娘間の葛藤は生じます。
母親の立場から母親の基準によると娘の基準は間違っていると認識し、
娘の立場から娘の基準によると母親の基準が間違っていると認識します。
それで母親の立場から見れば娘が間違っていることになり、
娘の立場から見れば母親が間違っていることになります。
結局母親と娘は互いに対して多くの関心を持ってはいるものの、
各自の基準からすると間違っていると考えるようになり葛藤が生じるのです。
母親は娘に対して自分が追求してきた自己実現の思考基準を娘に強要するわけですが、
もし娘が母親の基準を受け入れて自分の思考基準を変えると、
この時から娘は果たして自分の自己実現を追求できるのでしょうか、
それとも母親の自己実現を娘が追求するのでしょうか。
結局娘は自分の人生ではなく母親の人生を生きていく存在に転落するのです。
こうなると娘は人間としての価値と意味を喪失し、
母親は娘の価値と意味を踏みにじったことになるのです。
このような結果は母親が望むことなのか、それとも娘が望むことなのかをよく考えてみなければなりません。
母娘間の葛藤の原因は、
互いの自己実現を追求する思考基準が異なるだけのことですが、
相手の基準が間違っていると自分の基準ばかりを主張して、
葛藤の原因はすべて相手にあると考えます。
結局、相手に関心を持ち、
相手に自分の思考基準を適用して、
自分の基準が相手と合わない時に対立と衝突が発生するのですが、
自分の非でもなければ相手の非でもないのに、
葛藤により、相手が人間としての自己実現追求を妨げることになってしまいます。
このように母娘間の葛藤が生じると、
これは母親のせいですか。
それとも娘のせいですか。
母親のせいでも娘のせいでもないことが分かります。
母親は母親の自己実現のための思考基準があり、
娘は娘の自己実現のための思考基準があるのは明らかです。
ただ母親と娘が互いに異なる基準を持っていることをお互い知らないだけです。
このように思考基準が互いに異なることを知なければ一生を通して葛藤が続くこともあり得ます。
母親が娘に母親の権利を主張すると、
娘は娘の思考基準で自己実現を追求する権利を奪われ、
母親の思考基準に沿って生きていくことになり、
自分の人生ではなく、
母親の人生を生きざるを得ない結果がもたらされます。
そしてこのような娘の場合は、
最終的に母親よりも劣る人生を生き、
娘の自己実現が追求できない人生を生きることになります。
結果的に母親は娘に不幸な人生を生きていくように強要したことになるのです。
自分の自己実現を追求するための思考基準を他人に勧めてはなりません。
自分の自己実現のための思考基準は唯一自分の記憶をベースにして作り上げられたものであり、
世の中で唯一無二の自分の基準であり、
これを基にして他の人たちと調和を成しながら共に自己実現を追求していくのです。
したがって私たちはみんな他の人たちと人間関係を結んで調和と秩序を保つ義務と、
自分の自己実現を追求する権利を持っているのです。
これは幼い子供から老人に至るまで権利と義務を持って人間として生きていく根本になります。
このことを正確に知っておかなければなりません。
母親が娘は自分とは異なる自己実現を追求する思考基準を持っていることが分かると、
娘が人間として生きていることを嬉しく思えるようになります。
このことを娘に話すことができれば、
母娘間の葛藤はなくなります。
これが母娘間の葛藤をヒーリングする方法です。